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会報19号新年号ロゴ会報「全鍼徳島」
第19号新年号 平成18年1月1日発行

全鍼師会大会in青森の報告

 平成17年7月17日、18日に全鍼師会大会が開催されました。
 大会に参加された先生の感想を掲載いたします。





青森大会に参加して
坂本貴子


 私は大会のスタッフとして前日より参加させて頂きましたので、スタッフサイドからの報告をさせて頂きます。

 今年の大会は青年局・女性局が発展的に解消し、新たな部「組織強化部」が誕生して改編の時期での大会となりました。
今期、私は組織強化部の運営委員としてお手伝いをする事になったのですが、青年女性局から引き継いだ私を除いてすべて新メンバーとなり、任命させた6名の委員で6月1日に委員会が結成されました。
この6名のメンバーでのはじめての仕事は青森大会の分科会運営でした。
早速、結成翌日6月2日に「委員会ネット」を立ち上げ分科会運営のためのネット上での話し合いが始まりました。
北は北海道から南は九州までのメンバーが毎晩ネットに集まって打ち合わせを行った格好です。
会議はおもに夜から深夜、又早朝に行い、分科会の企画、役割分担、資料作りなどを行いました。
大会前日までのメール数は約1月半でなんと275通。
中でも青年局・女性局の改編にともなう「全国青年女性部会議」には多くの時間を使って話し合いました。

 こうして大会当日を迎えました。
私たちスタッフには無資格者対策をプリントしたスタッフTシャツが配られ、担当する分科会の会場設営等を行いました。
今回は、新たな企画として自前のパソコンとプロジェクターを持ち込んでプレゼンをしてみました。

 懇親会のアトラクションでは、組織強化部全員がねぶた祭りのハネトの衣装(とても派手なにぎやかな衣装です)を着せていただき、前局長の兵後先生、福田先生も一緒に、皆で手をつなぎ丸くなって「ねぶた」大太鼓と「らっせら〜・・」の掛け声に合わせて跳ねました。
中野会長も壇上に上がり「ねぶた」大太鼓を叩かれアトラクションを盛り上げて下さいました。
皆ハネトになり互いに手を取り合って汗を流し、心が一つになった気がしました。

 懇親会の乾杯は、鏡開きが行なわれました。
「今までの殻を破る」という想いを込められたそうです。
私も組織強化部のメンバーと一緒になって「今までの殻を破る」新しい発想と奇抜なアイデアを出し合って取り組んで行きたいと思っております。
本州の最北で開催された青森大会は、スタッフとして参加させて頂き大変緊張した分科会運営でしたが、本当によい体験をさせて頂きました。

 笹川会長をはじめ、青森県師会の皆様方には心よりお礼を申し上げたいと思います。もし、次に青森に行くことがあれば、今度はゆっくり奥入瀬渓谷など観光してみたいと思います。





青森大会懇親会の写真




第4回全鍼大会に参加して
山田信夫


 年々大会は盛大になって、分科会も興味深いものが沢山あり、どこに参加しようか迷うぐらいだったが「保険部会」「未病治という名の介護予防」「無資格対策部」サブタイトルのネ−ミングの良さで参加したのもある。
 「保険部会」では、この大会初めてあろうマッサ−ジを中心にした話があった。マッサ−ジの保険料金改正が有るかも知れないと言う前提で、政府、厚生労働省との交渉の経過や、裏話を聞かせてもらったが我々の業界にプラスに成る様に頑張ってほしいものだ。

 大会に参加して、中央の情報を聞くのも良いと思った。
今回は特に若い人に多く参加してほしかった。
この業界が少し変わりつつあると思うが今回がその前兆の年だったかも知れない。
来年は若い人に是非参加を望む。

 そして今回良かったのは懇親会である地元青森をアピールするために工夫を凝らして、津軽三味線に始まりねぶたのお囃子、跳ねと踊りなどで楽しませてくれた。
その中でねぶた太鼓を中野会長が飛び入りでバチ捌きを披露していた、また会場内ではコンパニオンや跳ねと美人の出迎えがありました。
また坂本貴子女史が跳ねとの衣装で現れ会場から拍手喝采を浴びていた。

 2泊3日の遠くて短いみちのくの旅であったが、大会も有意義だったし観光も良かったし、夜のミ−ティングで会長の話も長かったし、少し寝不足だったが楽しい青森大会(東北見聞録)であった。

 来年は山口大会〇〇を食べに行こう。





十和田湖前での記念写真




第4回全鍼師会大会in古牧に参加して
石山清美


 今年の全鍼師会大会は7月17・18の両日青森県三沢市で、「みんなで創ろう愛される全鍼」をの大会テーマの下、全国から約450人の会員が集まり開催された。

 各分科会では無免許や無資格、保険問題、介護保険への取りくみ等について最新の情報交換、今後の課題への取りくみ等について話あわれた。
中でも無資格対策分科会は、とりわけ感心が高く、予想を上まわる会員が詰め掛け、出席者からは、マッサージの定義付け、あはき等法改正案はいつごろ提出するのか等、の意見があり、これに対して執行部からは、定義と法改正はあはき等法推進協議会で国に対し請願を行い必ず実現に向けて進めて行くと述べた。我々も1日も早いこの問題解決に期待したい。

 杉田会長は、挨拶のなかで、昨年度は無免許・無資格対策の1貫として全国都道府県議会への請願を行なって、概に45都道府県の採択がなされた。今後はあはき等法推進協の統一「ロゴマーク」を制定し無免許者との差別化を図って行くと述べているがしかしこれからこの「ロゴマーク」を、どのように活かし活用して行くのだろうか?
因みにこれは明治4年頃の事らしいが、時の明治政府は、床屋さんの3色の看板「サインポール」を考案し、武士が丁髷を切る際にはこの看板のある店に行くように、と奨励したそうである。
何れにしてもこの「ロゴマーク」を有効に活かして行く為には、「ロゴマーク」の持つ意味を広く国民に公表して認識してもらう必要があると思う。
絵に描いた餅にならないためにも。





奥入瀬の写真




第4回全鍼師会大会in古牧に参加して
八百原義正


 今年は本県会員7人で平成17年7月17日・18日に青森県三沢市で開催された第4回全鍼師会大会in古牧に参加しました。
全国からは約500人の参加者があり盛大な大会でした。

 会場となった施設が桁外れに広い上に、中央の役員も若干顔触れが変わり、接待・誘導・会議の運営等で少し手間取った部分もあったようですが、新たに違った意味でフレッシュな雰囲気が感じられ、今回のメインテーマである「みんなで創ろう“愛される全鍼”」に相応しく鍼灸マッサージといった東洋医学を中心とした医療と情報を国民に提供しようという意気込みが伝わってきました。

 本県からは、中央の応援スタッフとして参加した坂本貴子理事が主催者側の立場に立ち、「流行る治療院を増やす会」「全国青年女性会議」「会員増強キャンペーン」の分科会で影になり日向になり存在感ある活躍ぶりを示し、夜の懇親会でも跳人(はねと)の衣装がよく似合い本職のコンパニオンより人気者でした。そして本県からの他の参加会員も他県の業友と積極的に情報を交換し交流を深めたようです。

 青森方面に行く機会が滅多にないので本県独自で奥入瀬、十和田湖、ねぶたの里等を貸切りタクシーでミニツアーを組み、日々多忙な仕事や業界活動を離れまた違った角度から会員相互の親睦を深め観光を楽しみ有意義な時間を過ごしました。

 最後にこの大会の運営に係った青森県師会並びに中央の役員の皆さん、また関係者各位に心より敬意を表します。





ねぶたの写真




全鍼師会大会in古牧と青森観光
濱崎倫宏


 17日朝、徳島空港を飛び立った僕達は午前10時には羽田に着いていた。
ここから更に青森、三沢まで行く訳なのだがここで一休み。
昼食に江戸前寿司を食べて空港内をブラブラ。
それにしても人、人、人、毎日これだけの人数が到着し、また出発してゆくのだ。
決して迷子にならない様にと気を付けながら出発を待つ。

 予定通り午後1時に出発、ただでさえ狭い座席の隣には、僕の1.5倍はあろうかというアメリカ人。
なおさら狭く感じる。
でも、あっちも僕を見て一層狭く感じたに違いない・・同情する。
・・・ギュウギュウ飛行機は何事もなく三沢空港に降り立った。
「小さいなあ・・・」羽田空港や、空港の横にある米軍レーダー基地に比べて (徳島空港と比べても)なんと小ぢんまりした所よ。
ただ、乗客や到着を待つ人々の中にアメリカ人家族が多い事に驚く。
「ここは基地の町なのだ。」と改めて感じた。

 空港駐車場から、バスに揺られる事30分。
緑の中に全鍼大会の会場である『古牧グランドホテル』が現れた。
全4棟から成る最大収容人数3千人の超巨大ホテルだ。
冬になれば雪に閉ざされる為、地下に4棟を繋ぐ連絡道が設けられていて、その地下道には、居酒屋、クラブ、カラオケスナック、ゲームセンター、土産物屋、博物館、それに温水プールまで揃っており一大商店街の様相を呈している。
真冬でも宿泊客を退屈させない工夫なのだろう。
○町商店街より賑やかかもしれない。
「おっだまげだなやぁ〜」と青森弁で思いつつ、ホテルの中へ。

 既に中では分科会が始まっていた。
慌てて奥の方の『流行る治療院を増やす会』に飛び込むも、終了30分前のまとめの段階だった。
百数十人ほど参加していただろうか、熱気でムンムンしている。
活発な意見交換がされる中で「経営ガイドブック」を参考にして積極的な営業を、というまとめと拍手の中、分科会は終了した。

 何かバタバタとしている内に分科会も終わり、客室に荷物を置いた後、みんなで風呂に行く事になったのだが、これが遠い!
件の地下道をホテルの下駄履きで歩く事15分、ようやく大浴場の入口に辿り着いた。
着慣れないスーツに革靴、そしてホテルの下駄で両足まめだらけ状態になっていた僕は明日のスケジュール「奥入瀬渓流散策」に一抹の不安を覚えつつ湯煙にかすむ扉を開けた。
「うわああぁぁぁひろいいぃぃぃぃ〜(残響音)」青森という雪に閉ざされた土地柄の為地下に造られた大浴場なのだろうが、まさにジャングル風呂。
人の背丈よりも大きい巨岩、奇岩が配置され、大森林をイメージして柱は大樹にイミテーションされている。
なんと地下なのに滝まで造られている!屋根つき露天風呂?といった感なのだ。
ややトロッとした泉質と久々に足を伸ばして湯船に入れる開放感に、少し犬かきで泳いでみた・・・。

 長風呂が終わるともう懇親会の時間が近付いていた。
慌てて浴衣に着替え、まめで痛い足でペンギンの様にあるきながら大宴会場へ急ぐ。
また15分位かかった。
ここの唯一の欠点は複雑で長い地下道だ。

 これまた巨大な大宴会場に圧倒されつつ懇親会が始まった。
お酒のほとんど飲めない僕はその分がんばって食べた。
どれもこれもおいしかったが、一番はなんといっても地元産ホタテ貝の炭火焼きだろう。
殻付きのホタテを炭火のグリルの上に何十個もズラッと並べ一斉に焼いていくのだ。
香ばしい匂いが漂い、ジュウジュウ音を立てているヤツを一口ほおばれば、貝柱の甘いエキスが口の中にジュワッと溢れ出す。
ワタの味も新鮮なだけに濃厚で、ついつい一人で3つも食べてしまった。

 半バイキング形式になっていたので会場の中をあっちこっちウロウロしていると、正面ステージでねぶた祭りのイベントが始まった。
阿波踊りと違ってリズムの主役は1mもありそうな大太鼓だ。
説明によると、あの巨大な「ねぶた」が出発し、街中を行進し、帰還する、それぞれにその大太鼓のリズムを変えて打ち鳴らす事で指揮するのだそうだ。
それぞれに打ち比べてくれたのだが、僕にはイマイチ違いが分からない。
それよりもただ、大迫力の満腹に響くリズムに揺さぶられて感激してしまった。
その後ニュースでよく見るねぶた祭りの「跳ね人」に扮したみんなで「ラッセラーラッセラーラッセラーラッセラー」の掛け声と共にピョンピョン飛び跳ねて盛り上がっていたが、僕は胃が重くて・・・その分掛け声で参加しました。

 懇親会も盛況の内に幕を閉じ、本来なら2次会の「ナイトサロン」に場を移す所なのだが、僕は旅の疲れと満腹でリタイアして部屋に戻り、くつろぐ事にした。
くつろぐ筈でした、くつろぎたかったのに・・・この部屋で始まっちまったよ、2次会が!・・みんな同じ飛行機に乗って、同じ物食べて、僕より圧倒的に飲んでいるはずなのに、どうして、そんなに元気なんだ?
ここは「おつかい役」に徹しよう。
それが一番だ。
で、それから買ってきた物。500mlの缶ビール13本、350mlの缶ビール4本、お茶2本、ジュース1本、水1本、りんごチップス一袋、干し貝柱2袋、柿ピー一袋、チーズタラ一袋・・・なんでそんなに飲めるの?ねえ・・・

 翌朝、腫れぼったい瞼をこすりながら目を覚ますと、もう7月中頃だというのに肌寒い。
徳島では布団を蹴り飛ばした状態で目を覚ますのだが、今朝はミノムシの様に布団に包まれて目が覚めた。
日本はなんと南北に長い国なんだろうと今更ながら実感した。

 朝食はビュッフェ形式のバイキングで和食洋食、食べ放題。
それなのに、ああそれなのに、それなのに、昨夜のアレのせいで4皿しか食べられなかった・・・残念。

 2日目の分科会は「未病治という名の介護予防」に出席した。
東洋医学の考え方にある「未病治」こそ介護予防に必要な要素で、我々鍼灸師も積極的に参入していけるのではないだろうか?という講演の後、ひとりで出来る経絡すストレッチとセツフマッサージの実技練習をやったのだが、ここ数年間で体が非常に硬くなっていた。
体重も増加傾向にあるし、完全にメタボリック症候群体形になっている。
どうしたものか。
帰ったらとりあえず、糖尿病検査に行って、禁煙して、ダイエットしなけりゃなぁ・・・自分が要介護認定にされてしまうのだけは回避しなければ!

 少し凹みながらも閉会式会場に向かう。
分科会報告、会長挨拶、閉会宣言も終わり大会全ての日程が終了した。
最後にもらったお土産はショボかったが、2日に亘るこの「全鍼師会大会in古牧」とても楽しかった。
次回の大会は山口県だそうだ。

 閉会後すぐさま「十五番タクシー」のジャンボタクシーに乗り込む、青森には他に「三八五観光」なんかもあった。
変な名前だ。一路、奥入瀬渓流へ。

 予定通り奥入瀬観光センターに到着。
ここで昼食を食べて、いよいよ問題の渓流散策なのだが、一体何を食べようか・・・曇り空から小粒の雨がちらちら降る中、野外バーベキューに決定!雨を避けて大木の影に2つのテーブルを陣取り7人分の肉と野菜を注文。
昨夜あれだけ飲んでいて、又生ビールを注文する中野先生達に戦慄を覚えながら、いざ焼くぞ!と始めたのはいいが、どうも向こう側のコンロは火力が弱い。
仕方が無いので、こちらのコンロで焼いて向こうに持って行く作戦になったのだが、僕のテーブルには肉がたくさん乗っているのに、あっちはスッカラカンのかなりなさけない状態。
八百原先生がうらめしそうにこっちを見ている。
まるで、こっちには人一倍食べる奴が居ますよ。
と言わんばかりだ。
気を付けねば・・でも、朝食が少なめ?で、分科会の凹んだ気持ちもすっかり忘れた僕はまあ食べる食べる。
少し多めに頼んだ肉も野菜もご飯もすっかり平らげてしまった。
こりゃ、やっぱ肥るわ。

 満腹になった後、トイレ休憩中観光センター内をうろついた。
ホテルでも感じた事だが、青森の特産品に琥珀があるらしい。
ネックレスやブローチ。
男性用はカフスボタンやタイピンが人気らしい。
僕も欲しくなってきて「大きい虫」入りのペンダントトップを見ていたら、どうも予算より桁が2つ違うようだ。
これだけ値段がずれていると素直にあきらめられる。宝飾品の価値は分からん・・・

 休憩も終わり、いよいよ問題の奥入瀬渓流散策である・・・渓流を革靴で歩く。
しかも足はマメだらけ・・・不安に思っていたのだが、杞憂に終わった。
非常に整備されているのだ。
原始のままの森の中、観光用に道路は舗装され、自転車でも楽に通れるようになっている。
未舗装の木々の間、岩と岩の間の細いコースもあるが、別の場所では車椅子の人が大自然の中に包まれてゆっくり散策するような傾斜のなだらかなコースもある。
大きい舗装道(まあ観光バスが対向できる位なのだが)から枝のように未舗装の散策コースが伸びている。
と言えば分かるだろうか。
何千年、何万年もの太古から続く森の営み。
川の流れ、木々のざわめき、冷たい風、滝の音、鳥の囀り、全ての音が体に染み込んで、通り過ぎて行く。
森の冷気が心地よい。
最初は足のまめの痛みもあって、余り乗り気ではなかったのだが、コース後半の「阿修羅の流れ」の頃にはいつまでもここを歩いていたい気持ちになっていて、まるで一枚の絵画の様なその景観に暫し見入ってしまった。
次の観光船の出船時間もあって2時間弱の散策だったが少々物足りない。
ここは1日中歩きまわっても飽きないだろう。
徳島には、まず存在しないであろう広葉樹の太古の森に別れを告げ、次の目的地に向かう。
名残り惜しい。

 30分程車に揺られて次の目的地である十和田湖観光船の乗り場に到着した。
昼食の頃からぽつぽつ降っていた雨は、いつしか大粒になり、時折強い風が吹き付ける。
青の湖面は荒れていて観光船の船体に波が当たって砕けている。どうにか出船できるようなので乗り込むが、どうにも「楽しい船旅」には程遠い様だ。
「これは一体、誰の日頃の行い?」と思ってみても、普段の自分の行いが・・・みんなゴメン。

 停泊中は不安だったが、いざ出航すると船体の大きさもあって以外と安定していた。
船内放送の案内を聞きながら雨の叩き付ける窓の外に目を向ける。
悪天候が恨めしい。
晴れていれば、さぞかし美しい風景だろう。
船外デッキでタバコを吸えたら気持ち良いだろうなあ。
などと考えていれば、一瞬晴れ間が覗いた!
ここぞとばかりに外で一服、スナップを数枚撮影していると、なんとここでカメラが電池切れ。
幸運にも船内売店に在庫があったので急いで購入するも、戻ってみれば土砂降りに。
これも自分の普段の行いが・・・。

 船酔いにもならず、どうにか無事に向こう岸に到着するも、雨は一層強く吹きつけ嵐の様になってきた。本来なら十和田湖湖畔を観光したかったのだが、宿に直行する事にした。

 到着したホテル『十和田湖畔温泉』非常に静かな佇まいで芸能人がお忍びで泊まりに来そうな、ちょっとした避暑地のような雰囲気だ。
2階1番奥の広い和室に案内された。窓から杉の大木が見える、残念ながら湖は見えない部屋だった。
時間に余裕ができた。
せっかくなので土産物屋をうろうろ、青森名物「イカスミクッキー」「ニンニククッキー」変な物ばかり友人用に購入する。
「リンゴケーキ」「リンゴクッキー」まともな物は患者さん用「ねぶたの里(日本酒)」は親への土産・・・と買ってる内にダンボール2箱分になってしまった。
すぐに宅急便で送る。便利な時代になったものだ。

 あっというまに夕食の時間がきた。
みんなそろってレストランにゾロゾロ。
畳の部屋に案内されて御馳走が運ばれて来た。
昨日も満足だったが、これまで食べたホテルの食事の中で1番豪華でおいしかった。
カニ尽くしだ。
酢の物に始まって、刺身、焼き物、椀物、フライ、天ぷら、茶碗蒸し、みんな無口でパクパクパク。
最後に茹でガニがどーんと1匹運ばれて来て尚更無口に。
カニだけで満腹になったのは初めてだ。
部屋にカメラを置いてきたのが悔やまれる。
記念写真を写したかった。
次に食べられるのはいつの日か・・・

 この日は満腹感と旅の疲れで早めに床に就いたのだが、他のみんなは・・・元気だな・・・

 青森最終日の朝、スッキリ目が覚めた。
というより寒くて目が覚めた!
昨日の朝より更に数度は低いだろうか、毛布が欲しい位だ。
のんびり仕度を済ます。
朝食はやっぱりビュッフェ形式のバイキング。
これはうれしい。

 ジャンボタクシーの運転手さんと相談して今日の日程を決定。
予定では三内丸山遺跡に行く筈だったが、これだと時間がキツキツなので、八甲田山記念館に行き先変更。
少し残念、実は考古学物に少し興味があったのだ。
亀ヶ岡遺跡(遮光器土偶の所)にも行きたかった、これは次回の楽しみに。

 今日は昨日の天気が嘘のように快晴だ。
道すがらの展望台から湖を眺めると、観光船が湖面に美しい航跡を残している。
絵葉書に使えそうな風景に感動する。来てよかった。

 八甲田山記念館まで少し車に揺られる。
のんびり景色を楽しんでいると奇妙な標識が目に飛び込んできた。
目の錯覚か『キリストの墓→3km』?どうしよう運転手さんに聞いてみようか?
桂小枝の喜びそうなパラダイスの雰囲気を感じつつ黙って通り過ぎた。
見るんじゃなかった・・・。

 もう7月だというのに山々に残雪が白く輝いて見える。
「八甲田山雪中行軍記念館」に到着。
まず「鹿鳴庵」という小ぢんまりした資料館に入るが、中は遺品、捜索隊の品、調査資料で埋め尽くされている。
なんだか、いたたまれない。
資料館を出ると、能天気な土産物屋、味噌田楽まで売っているよ・・
ギャップに苦しみながら登山道に向かう。
登山道は長く緩やかな階段で年配の方でもなんとか登れそうだ。
頂上には一体の銅像が建っていた。
雪中に立ったまま、仮死状態で発見されたという遭難者を象ったその像は、青い空、白い雲、緑の山々に囲まれてひっそりと佇んでいた。
いたたましい事故と能天気な土産物屋、追悼と商業、なんだかなあ・・・それにしても味噌の焼ける良いにおいだ。
・・・しまった、僕は「あっち側」の人間だ・・・

 続いて向かった先は「青森自然公園ねぶたの里」歴代のねぶた祭りで作られた傑作の数々が陳列保管されている。
「羅城門」「牛若丸」「換羽と劉邦」「酒天童子」「アテルイ」一体どうやって、人の背丈の何倍もあるような巨大な物を作りあげたのだろう。
興味は尽きないのだが、ここは一転、非常に暑いのだ。スレート葺きの建物全体から熱気を発している様で中に入るとクラクラしてくる。
山と平地でこれだけ温度が違うものなのか。汗を流しながら見て回る。
圧倒する巨大さと、極彩色の光、そして暑さで、ねぶたが今にも動き出しそうな、そんな雰囲気のする場所だった。

 時間も押し迫ってきて僕達は青森空港に向かう。
この旅行もこれで終わりだ。
こんな機会でもなければ、なかなか青森まで来ることも無いだろう、実に楽しい旅だった。
出来る事ならもう1度、4,5日かけてゆっくり見て回りたいものだ。
温泉も、遺跡も、お土産も、(あ、そうそうキリストの墓も)まだまだ奥入瀬渓流も歩き足りない。酸ヶ湯温泉も恐山も弘前城も行ってない。
遮光器土偶にも会ってない。
また、いつか来るぞ。
待ってろよ青森そんな旅だった

 ・・ああ・・・大間のマグロも食べてない・・・

お寿司の写真


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